荒神谷遺跡 ― 後編 ―

銅剣、銅矛、銅鐸など数多くの青銅器が見つかったこの斐川町の遺跡は、出雲ロマン街道をはさんだ
南側に三宝荒神が祀られていたことから、荒神谷遺跡と名付けられました。
ここの荒神さんは須佐之男命で、中央に大きな岩があり、その周りに二つの岩がお祀りしてあります。
昔荒れ果てていた時期があったそうですが、大飢饉をきっかけにお祀りし直されたのだそうです。


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神の庭、と書いて『神庭かんば』と読むこの古い土地は見渡す限り緑、緑、でとても静かな場所です。
特に朝もやがかかっている時の景色はとても綺麗です。

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近くには、荒神谷史跡公園が整備されていて、竪穴式住居が作られています。
バーベキューの施設などもある、広い公園です。

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荒神谷遺跡といえば、数が多いために銅剣ばかりがクローズアップされがちですが、出土した6個の銅鐸もかなり
興味深いものがあります。

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特に1号鐸と呼ばれるこの銅鐸は、説明文にもありますが、弥生青銅器研究の権威、佐原真氏が最初にこの銅鐸を
見た時に「この銅鐸が骨董屋に並んでいたら、わたしはまちがいなくニセモノと言うだろう。」と言われたほど変わった
銅鐸です。


●1号鐸の特異性
① 鈕(ちゅう)が変わっている
② 模様が変わっている

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※荒神谷1号鐸 (古代出雲歴史博物館)       ※1号鐸模鋳品 (荒神谷博物館)


まず、鈕(ちゅう)と呼ばれるつり手の部分の断面が、他の銅鐸は♢型なのに対し、この1号鐸だけは凸型をしている、
ということです。

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そしてA面には重弧文(じゅうこもん)と呼ばれる半円形を重ねた模様や、重弧文に斜線が細かく入ったもの、
裏のB面には市松模様が斜線の重なりで表現されているという、なんだか着物の模様のような変わったデザインの
銅鐸です。
出雲産かどうかで意見が分かれているようですが、荒神谷遺跡からは鋳型が出てきてないので、どこで作られたか
は分かっていません。
この1号鐸もまた表面と内側にわずかに赤色顔料が付着していたようです。


●最古段階の5号鐸
5号鐸は、鰭(ひれ)と呼ばれる外側に付いている薄いピラピラしたところがほとんど無く、全体的にずんぐりとした
印象の銅鐸です。 つり手は『菱環鈕式 りょうかんちゅうしき』と呼ばれる最古段階の物で、弥生時代前期末~
中期前半頃に制作された、とされています。 これは国内でも十数例しかないものです。



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加茂岩倉遺跡銅鐸と比べると荒神谷の銅鐸は23cm前後の小さいものです。
派手な模様が付いているわけではないし、なかなかこの小さくて地味な銅鐸たちの前で足を止める人は
少ないですが、近づいてよく見るとなかなか面白いのです。







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国道9号線沿いの、荒神谷入口の交差点の近くに福泉堂さんという和菓子屋さんがあって、銅剣のもなかが
売られています。

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朝汐餡+鹿の子豆のあんが中に入っています。
荒神谷の銅剣が出土した時に、役場のほうから何か作ってくれませんか、と言われて作ったんですよ・・と
お店の方が教えて下さいました。


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荒神谷遺跡の銅剣はいったいどこで作られたのかは分かっていません。
自分の生きているうちにどこかで鋳型や工房跡が見つかるのを楽しみにしています。







荒神谷遺跡  






・古代出雲歴史博物館様
・荒神谷博物館様
・出雲弥生の森博物館様     
 どうもありがとうございました。

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